私が幼い頃、父が言っておりました。戦死された方とご遺族の方々には、大変失礼な発言かと思います。お詫び申し上げます。ですが、失礼を承知であえて申し上げますと、そのように感じてしまった父の気持ちも、少しは考えてみたいと思ったからです。父も、戦死された方のことを、決して「気を利かせて」いたとは思っていないはずです。
父は徴兵される年齢ではなく、軍事教育を受けただけの軍国少年でした。父親(私の祖父)を早く亡くし、戦後の混乱の中で塗炭の苦しみを味わい、世の中の価値観も大きく変わってしまって人生に絶望しかけた時、ふと戦死した知人を思い出すと、(ご遺族は悲しみの淵と拝察いたしますが)父の目には、(周囲からは)国の誉れと称賛され、英霊として靖国神社に祀られることが、羨ましく見えたことがあったのかもしれません。
さて、自分たちのことも、羨望の眼差しで見ている人がおられるかもしれません。自分たちが今、どんなに苦しみ、落ち込んでいたとしても、「それでも、平和な国で生きているあなたが羨ましい。」と思われている方が、たくさんおられるのではないでしょうか。
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